一ヶ月ぶりの更新とその理由
現状確認の日誌を更新しよう。
前回、『今後の計画』と題して
『就職をする』ということを計画していました。
http://koshishiblog.blog134.fc2.com/blog-entry-27.html
そして、その思いと行動が実り、
就職が無事決まりました。
さて、これから一人のビジネスパーソン
として、本格的な活動が始まると思うと、
ワクワクしてきます!
『アメブロ』
アメブロ始めました!
主にiPhoeeについて書かせていただいています。
今後はどのような展開を見せていくのか、実際にiPhoneを触りながら綴っていきたいと思います。
http://profile.ameba.jp/koshishi24/
『今後の計画』
こんにちは!
なんとかネットビジネスで成功できないかと、右往左往しながらいろんな手段を講じたり、手を出したり。
資金がないからそれを貯めようと考え、ブックメーカーを始めましたが、結局投資するお金がないからできません!
その資金を稼ごうと仕事を掛け持ちしようにも、届く書類は『不採用』の通知ばかり。
去年の一件でお金には大分気を使っているつもりなんですが、いかんせん、節約は出来ても、投資はまるでなっていませんでした。
なので、今後は時間とお金をどのように投資していくか、ある程度決めておきながら、日々心に留めておきたいと思います。
私の今後の人生計画を立てます。
その意義は
『寄り道せず、余計な出費を抑え、最短で目的を達成する』ことです。
私が考える、目標の大前提
『たくさんの人達の暮らしに役立ち、必要とされる存在である事』
多くの人達が求めているものがあるマーケット
『インターネットで得られる情報やサービス』
ここまでは来ましたが、次の段階に移るための、私には決定的に足りないものがあります。
それが『技術、情報、人脈、信頼、資本』、つまり総合的な『人生経験』です。
こればかりは実社会に出て仕事を通して学ぶべき点であり、それらをなしに他人の役に立てる仕事をしたいなんて、浅はかでした。
仕事は確かにあります。それこそ人の役に立てる仕事は山ほどあると思います。
けれど私はただ働くだけは絶対に嫌です。
今の仕事も将来のため、必要不可欠な資金を稼ぐために、甘んじてやっていますが、だからといって手を抜いたりはしません。
ちょっと話が脱線しました、戻します。
要するには私は『人生経験』を得るために、就職をしよう。
ということです。
そして今日はここまでにします。こんな風にまとまらない文章も少しずつ改善していくので、また訪問していただけたら幸いです。
お読みいただきありがとうございました!
『切り捨てる』=『集中する』
こんにちは。
今回の記事と似たような話に、以前にも触れたかもしれませんが、
少し見ていただきたいものがありまして、ここにこうして書かせていただきました。
というのも私は自分で
『必要ないものを切り捨てて、人生で重要だと思える事に時間を費やすべきだと!』
と言っていましたが、どんなに仕事ができる人や成功者でも、
支えとなるもの、癒される時間などがあり、日々のストレスを溜めずに過ごしていく工夫をしています。
そんなストレス解消法の一つで私はmixiのアプリ、
『つくりぞ』というゲームを楽しんでいました。
一日30分程度でしたが、頭をほぐし、リラックスするには十分すぎる程の30分。
最初は小さな島とお金があり、ショップで建物などを買うとそれが収入に繋がる。
貯まったお金でもっと効率のいい投資をする。
基本はこの繰り返しでしたが、その時間は間違いなく私に必要な時間だったと思います。
ですがゲームはいつか飽きてしまうもの。
いつかはそこから離れていくものです。
そしてそろそろ『つくりぞ』からも離れようかと思います。
そうしてやまてしまえば単なるゲームとして終わるはずなのですが、
そのときちょうどある大会が開かれる事になりました。
「他の人に自分の島を見てもらって、評価してもらおう!」という催しです。
そこでただのストレス解消、自己満足のゲームで終わるのではなく、
見てくれた人に少しでも伝わるような『島』を作りました。
そしてこれをやりきった私は、それを『切り捨てて』、
その時間をこれからのするべき作業に集中していこうかと思います。
もしよかったら、私の『島』に遊びにきてください。
私事の日記を読んでいただきありがとうございます。
『私の経歴』
いまさらですがここで私の経歴を書いてみようと思います。
長文ですので、本当に時間があるときか休み休み読んでください。
(mixiにも同じことが書いてあります。)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1524858382&owner_id=26728750
※
私は四番目の子でしたが長男として生まれました。
幼児期の話は飛ばしますが、小さい頃からゲームが大好きだったゲーマーでした。
小学校でもずる休みをしてはゲームをして、車に引かれてもゲームはして、友達の家に上がり込んではゲームをして、中学にあがってもゲームをして、ここでもやっぱり車に引かれてそれでもゲームをして、高校にあがったらネットゲーム廃人になって、車の免許を取ったら交通事故にあって身体を壊し、それでもネットゲームをしてたら留年になって、卒業したら二十歳になってました。
単なる「交通事故に遭いやすいゲーマー」かと思われそうですが、現在はまったく手につけていません。事故も最近はありません。
今もですが、ネットゲーム(ラグナロク)の広告を見るたびに「やりたいなぁ…。」なんて思います。だけど、それ以上にやりたいことがあるから今の僕はゲームに手を出さないでいられます。
ゲーム人生を歩んできた僕の、今の興味は自分自身への挑戦と周囲の人達への感謝です。
自分自身への『挑戦』とは、『世界平和』に貢献することであり、それは日々の生活を常に新鮮な物にしてくれる『信念』
その『挑戦』は僕が死ぬまで続く事であることを私は知っている。
けどそれは足枷や呪縛ではなく、人が求めることのできる『自由』
それは無形であれ有形であれ、人により違えど人は『自由』を求め、それは自分に『挑戦』し続けていくことに他ならない。
『自由』を勝ち取るのは他の誰でもない、自分自身の『意思』と『努力』を貫き通した人だ。
そんな『自由人』に、私はなる。
※ここから普通の自己紹介です(汗)
少し話を戻して…。
中学卒業後、出席率と成績が最悪だった私は、先生に勧められ「とりあえず高卒の資格くらいあればいいかな…。」という気持ちで定時制に入りました。
その高校へ進学すると同時に、お世話になった『相談室の先生』(登校拒否児の生徒達にめちゃくちゃ優しく接してくれるおばちゃん先生)に仕事を紹介してもらい、工場で働きながら学校へ行く環境を提供していただきました。
仕事を断る事も出来たと思いますが、当時の私はそれまでお世話になった先生や家族、特に母にかけてきた迷惑の事を考えると、働きながら学校へ行くくらいしないと、申し訳がないしカッコ悪いと考えいたので…。
だから「これは当然の報いで、罪滅ぼしなんだ…。なによりこれ以上は経済的負担を母にかけたくない!」その思いで働き始めました。
稼ぎ頭であるはずの父は、私が中1くらいの時から働けない身体で、週に何度も病院に行っては人工透析を受け、家では怒鳴っているだけの存在でした。
姉弟や私は恐れ、家計の助けも出来ない父を嫌っていたように思います。
そんな父でしたが、私が高校に入学してから間もなく亡くなりました。
学校の休み時間、先生に人気のない廊下へ連れて行かれ、すぐに病人へ行くよう言われました。
その瞬間から、病室で父に会うまでの不思議な気持ちは今でも忘れはしません。
胸から押し寄せる理解できない感情、心が空っぽになったような、なにもない感覚。
『??』で頭の中がいっぱいになりながらも、自転車をこいでいたあの一瞬、一瞬。
病室に入ってきた私に、たくさんの親戚が視線を送る。
誰かに「挨拶なさい」と言われ、そっと父のそばへ向かっていく。
歩数にして10歩程度。その一歩一歩がとてつもなく重かったのを身体が覚えている。
そして、静かに眠る父と対面した瞬間、目の前が霞んだ。
歯を食いしばったり、感情を押し殺そうとすればすれほどに、何も見えなくなるほどの涙が溢れた。
そばにいた従姉が私を優しく抱き、慰めてくれた。その腕の中でただただ泣いた。
そしていつもの高校生活に戻った。
朝から夕方まで仕事をし、夜は学校へ行く。
そんな私の唯一の楽しみが、友達を呼び、弟達も交えてゲームをすることでした。
稼いだお金もその時のために使い、TVやソファー、絨毯を買い、友達が来る日は必ずお菓子を大量に買い込み、ゲームをしては遊んでいました。
そんな日々を過ごしていくうちに、なぜだか仕事に対して不満を抱くようになっていました。
時給が安かったから? 仕事がつまらなかったから? 理由はわかりません。
ただ、父親のように接してくれた工場長がいて嬉しかったし、働いて、母に負担をかけまいという思いがあった。
でも、なにかが私へのプレッシャーとなっていて、1年が経とうとしている頃に仕事を休むようになった。
いつしか連絡もなしに休むようになり、かかってくる電話にも怖くて出れなくなっていた。
そして私は間もなくその工場を去りました。
それから半年間はゲームと学校だけの生活が続いたけど、お金もほとんど使っていなかったので、貯金は十分過ぎるくらいあった。
そして十分遊んだと自分に言い聞かせ、アルバイトをしようと考えていたら、姉が以前働いていた飲食店を紹介してくれました。
料理の経験はまったくありませんでしたが、「作れたら楽しそう!」という思いがあり、そこで働く事を決めました。
そしてまた、朝から夕方まで仕事をしてそれから学校へ行く生活が始まりました。
最初はまな板の洗い方から食器の洗い方、包丁の持ち方、ネギの切り方、スープの作り方といったことを、チーフと呼ばれる人にどんどん教えてもらいました。
そんな日々が半年続いた頃、始めて彼女ができ、オンラインゲームにもはまりだしました。
仕事と学校とゲームと彼女、毎日忙しかったけど充実していたのを覚えています。
でもある日、その彼女の姉の恋愛話で別れ話が持ち上がっていました。
普通に別れるだけならなんの問題もないはずなのですが、姉のその相手は「別れたら自殺してやる!」と言って、別れさせてくれないそうで、はっきりと別れを告げたらなにをされるか怖いから、「その場に居合わせてほしい。」と頼まれた事から始まりました。
そしてその関係の和解役をし、二人はなんとか無事に別れる事が出来ました。
それからすぐに、私の彼女が「私とあなたとの関係がああならないか不安、あなたの態度も私の事を本当に好きかどうか、最近はよくわからないの。だから少し距離をおきましょう…。」
と話をしてきました。
姉の件もあったかもしれませんが、実際私の彼女に対する態度はあまり恋人らしいとは言えませんでした。
初めての彼女ということもあり、どう付き合っていけばいいのかよくわかっていませんでした。
そんなこともあり、次第にゲームへ逃げるようになり、自ら彼女との距離を広げる行為をしていました。
そして結局、彼女かゲームかという状況になり、私はゲームをとり、彼女と別れてしまいました。
それほどにその時の私にとって、オンラインゲーム(RO)というものは都合のいい逃げ道になっていました。
その後はさらにゲームにのめり込みすぎて、卒業する年で留年をしてしまいました。
本当ならそのことをチーフに打ち明けるべきでしたが、ゲームのする時間が短くなることと、留年した事を知られるのが嫌で、話す事が出来ませんでした。
「お前卒業したんだからフリーターだろ?うちに就職しないのか?」と聞かれたときは、「僕はまだ就職したくないので、フリーターで様子見したいんです。」と答えていました。
でもそんな嘘をつく自分自身が嫌になってきて、チーフに留年してまだ卒業していない事を話しました。するとチーフは
「わかった。お前にはお前なりの生き方があるんだから、無理しなくていいよ。時間も今まで通りでいいからこれからもよろしくな!」と言ってくれました。
そして胸に淀んでいたものがなくなり、仕事と学校を楽しみながらなんとか卒業する事が出来ました。
卒業後はアルバイトしていたところにそのまま就職。
仕事とゲームだけの時間となり、仕事も一生懸命やりましたが、稼いだお金はすべてゲームに費やし、可能な限りの時間もつぎ込みました。
しかし交通事故により身体を壊し、バイト時代から4年間勤めた会社を退職しました。
でもそれは表面上の話で、知り合いにもっと良い仕事を紹介してもらっていて、次の月からはそこで働き始めていました。
チーフはそのことを知っていたようですが、黙認してくれていました。
それでもやっぱり交通事故の容態は思ったより良くはなく、雨が降ったり寒くなると腰が痛くなる日々が続いていました。
また、仕事先の隣にパチスロ店があり、仕事が始まる前、休憩中、終わった後など、時間が空いてる時はいつも行くようになっていました。
月々のバイト代はそこそこもらっていましたが、パチスロにつぎ込む金額は毎月あがっていき、バイト代は消え、通っていた英会話学校を辞め、貯金を使い果たし、消費者金融で限度額まで借りて、それも使い果たしました。
この時21歳。
「このままじゃダメだ!」と決心した年でもあります。
意を決して仕事を辞め、修行のため、自分を変えるために和食の店で働くようになりました。
その仕事は想像以上に厳しく、朝6時半出勤、深夜0時過ぎ帰宅は当たり前で、休憩を取れない日も珍しくありませんでした。
最初のうちは兄貴分が「休め。」と言って休憩をもらっていましたが、仕事を覚えるうちに私にも少しずつ仕事が回ってきて、その仕込みに追われる日から休憩はなくなりました。
そしてそれは休日の日にも影響を与え始め、いつしか一ヶ月のうち、休日と呼べるものは1日あるかないかという状況になっていました。
時給に換算しても300円に満たない月もありました。
給料が安く、休憩も休日もほとんどなく毎日怒られていたけど、充実していました。
辛いと感じた日もあまりありませんでした。料理が好きでした。
「ここにきてよかった。」
本当にそう思っていました。兄貴分達も厳しかったけど、仕事終わりに食べに連れて行ってくれたり、愚痴を聞いてくれたりしていました。
中でも一番上の兄貴分が苦手で、本当に一日中叱ってくれていたのもその兄貴分でした。
ある日一緒に飲みにいくと、普段は耳を塞ぎたくなるような事しか言わないのに、その日はこんなことを言っていました。
「お前が辛いのは分かってる、やめたい気持ちもあるだろうけど、その前に絶対俺に相談してくれ。時間を作っていくらでも話を聴いてやるから!」
と、言ってくれました。
その言葉を聞いた私は耳を疑ぐりながらも、心ではとても喜んでいました。
それからしばらくして、新しい仲間が二人入ってきました。
一人は飲食店なんてまるで経験のない私の親友。
もう一人は調理師の学校を出ている年下の板前。
親友の方が少し早く店で働いていましたが、
年下の板前を一目見た時から苦手だと話していたので、やめやしないかと心配していました。
それでも人数が増えたおかげで、休憩もそれなりにとることが出来るようになっていました。
店も大分安定し、各々も仕事を大分こなせるようになってきた頃、親友はやめていきました。
働く前から親方と「試しに働いてみるか?」という話をしていたので、とくにいざこざもなく静かに去っていきました。
そうして親友がやめてから数ヶ月、私が就職してから一年が経とうとしているある日に、私は仕事を辞める決意をしていました。
『私がこの店で働いている理由はなんだ?』
『なぜこんな安い給料で働かなきゃいけないんだ?』
『休日もないし、毎日怒られてばっかりだし、料理なんてなんとなく流れでやってきただけで、本当にやりたいことではないんじゃないか?』
そんなことを考えるようになってから、次第に仕事への不安と不満が募りに募って、
「どうせ兄貴分に相談しても、私のやめたい理由を否定してやめさせてはくれないだろうな…。自分の人生なんだから自分のやりたいようにやろう!」
と考えるようになっていました。
そして、兄貴分にはなんの相談もなく親方に直接言いました。「今月いっぱいで、この仕事をやめたいんです。」と。
すると親方は「いや、今日やめていいよ。仕事をしたくない奴と一緒に働くのは、俺もあいつらも嫌な気分になるだろうから。」
この返事を受けて、私はその日のうちに辞めることになりました。
そして仕事が終わり親方が帰った後、兄貴分に「なんで俺に相談しなかった!なんなんだよお前…。」
とかなんとか言われ、別れ間際に私が「お世話になりました、すみませんでした!」と、言うと、無言で近づいてきて思いっきりぶん殴り、そのまま帰っていきました。
板前をやめたあと、本当に自分のやりたいことを探しはじめました。
「ここからはすべて自分の意志で決めて、絶対に後悔しないように生きていく!」
と誓いを立てました。
仕事をやめたあと、しばらく離れていたゲームを毎日やるようになってしました。
でも、今までと違う意思がそのときありました。
「絶対に成功してやる!」という、なんの根拠もない気合いだけの意気込みが。
そのときは7月中旬で、料理以外に技術がない私は翌年から専門学校へ行こうと決めた。
でも、特に進みたい分野があるわけでもなく、とりあえずお金を貯めながら考えようと思い、時給のいいパチスロ屋で働き始めました。
それからはバイトとゲームと読書をするようになっていました。
読書をするようになったのは、コンビニで中学の同級生に出会い、「この本は絶対に読んだ方がいい、人生が変わるよ。」と言われたからでした。
それまで本と呼べる本をほとんど読んだことがなかったので、初めて真剣に読んだその本は衝撃的でした。
単純で思い込みが激しい性格が作用したせいでもあるかと思いますが、
その本との出会いは文字通り「私の人生を変えました」
それからというもの、専門学校の資料を山ほど請求したり、自己啓発に関する本を読みあさったり、60万以上もする教材を購入したりしていました。
そして、「私は音楽鑑賞が好きだ。音楽に関する職業に就くことう!」と決めました。
「音楽なら言葉の壁はないし、なんかカッコいいし、稼げそうな気がする。」そう思っていました。
それからはギターや、音楽教材、キーボード、インターフェイス、楽譜などを購入し、独学で作曲の勉強をしていました。
また、ちょうどそのとき東京に新しい学校が第一期生を募集していて、最新の設備と環境、印象的なCMなどしていて、正直行くしかない!と思ったくらいです。
その後、国の教育ローンを組み、姉からも数十万借り、東京の学校へ行くことになりました。
住居は学校から30分足らずのところにあり、そこは新宿の某ホテルで働く代わりにルームシェアで安く住める寮でした。
そうして今度は東京で働きながら学ぶ日々が始まりました。
作曲の勉強はしていましたが、素人と変わりない状態で毎日「置いていかれまい!」と音楽の勉強をし、飲食店での接客経験はありませんでしたが、「私にならやれる!」と言い聞かせ、ホテルのウェイターをしていました。
その生活がそれまでの人生で一番充実していたのは間違いありませんでした。
本当にすべてがわからないことだらけで大変だったけど、それ以上に好きなことを学べる幸せがありました。
それからというもの、音楽の勉強だけでなく英会話やトレーニングジムに通っていた時期もありました。
ヴォイトレの体験レッスンやオーケストラ、美術展覧会、東京ゲームショウ、Musicフェスティバル、スタジオ、友達のライブ、あといろんなセミナーに行ったり、カメラやパソコン、本や音楽機材も買いました。
仕事でも外国のお客様との接客、トレイの持ち方、オーダーの取り方、身だしなみの大切さ。寮でも自炊、洗濯物、共同生活の大切さなどを学びました。
そしてなにより、同じ教室で時間を共にした仲間達との1年間の思い出は、それまでの22年間の人生よりも多いか、同じくらいかの苦労やそれ以上の幸せがありました。
このままみんなと勉強を共にし、みんなと一緒に修学旅行へ行って、一緒に卒業する。
ずっとそんなことを考えていました。
けど、残念ながらそれは、決して叶うことのない未来を思う過去へと変わりました。
それは、無事に一年目の授業を終え、修了式も済み、二年目の授業が始まる一週間前の出来事。
そのときの私は、「二年目の学校生活をこのまま続けることが、本当に自分のためになるのか?」という疑問を抱いていたのです。
何故そんなことを考えるようになったのか…。
遡ること2ヶ月、私はホテルの仕事を辞め、寮を出て、新しい職場と寮に住むことが決定していました。
仕事が嫌いだったわけじゃないし、苦だと思ったこともない。
けど、二年目もこの調子で働きながら勉強を続けても、きっと今まで以上に授業から置いていかれる、と考えていました。
単位を落としたわけでもないし、成績が悪かったわけでもありません。
ただ時間があまりにもなかった。みんなと一緒に過ごす時間が授業以外ほとんどなかった。
学校が終わればすぐに仕事で、休日は課題にこなし、生活費を工面するために自炊をしていた。その時間すら惜しく思っていた。
2年目も同じようなことになるのが嫌で、生活費を同じくらいの労働時間でいままで以上に稼げる仕事をしようと考えていました。
そうすれば歩きで学校へ行けるし、帰りも電車が必要なく、お金もできるから自炊する必要もなくなる。時間が出来るだろうから、それを勉強する時間、みんなと過ごす時間に充てよう!
そんな風に思っていました。
そして、その仕事と住むところが見つかり、3月の終わり、引っ越しすることが決まって荷造りをしていたら、携帯電話が私を呼んだ。姉からの電話だった。
色々話したけど、内容はこうだった。
「お願いだから、その仕事だけはやめなさい。」
私は迷った。
いまさらその仕事をやめて、他の仕事を探したってそんな簡単に見つかる物でもないし、それと同時に住むところも探さなきゃならない。
それにホテルの仕事も数ヶ月前にやめる手続きしてあったからいまさら戻れないし、今いるこの寮にももういられない。
私は自分の計画を崩すわけにはいかなかったが、それ以上に家族に心配をかける行為だけはしたくなかった。
また、私自身その仕事をこなしていけるか少し心配だったのも事実だ、「なんとかなるだろう。」
今までもその思いでやってきたので、今回も不安があったけど「なんとかなる。」
それだけを言い聞かせていた。
けどそれは、姉からの電話でその仕事以外で「なんとかなる。」と考えるようになっていました。
私は少しの不安と家族の心配を打ち消すために、その仕事をしないと姉に約束しました。
それからすぐに他の仕事と住居を探し、面接や不動産をみて回りましたが、最後まで見つかることはありませんでした。
そして、3月の終わり、担任の先生と相談して休学する意思を固めました。
「来年また必ず戻ってきます。」と伝え、私は去りました。
それから実家に帰り、「復学したら勉強に集中して取り組めるよう、お金を貯めよう!」
出来うる限り勉強に時間に充てられるように、働かなくても一定の収入が得られる方法を探していました。
そうしているうちに出会ったのがインターネットビジネスです。
アフィリエイト、ブックメーカー投資、FXなど、それこそ方法はたくさんありました。
けど、実際にやるならば自分の職業に関係のあることをしたいと思い、アフィリエイトで音楽教材や機材、スピーカーなどを紹介して収入を得られないものかと考えました。
色々な情報商材を購入し実際に勉強し、メールマーケティングやメルマガ、PPCなどについても学びました。
でも結局のところ、それらを駆使しても私の実力では説得力のある商品紹介はできず、なおかつアフィリエイトの世界で音楽に関することを仕事にするのも厳しいものでした。
そんな中、毎日40通以上届くメルマガの一つに、私が楽しみにしているメルマガがありました。
その人は間違いなく成功者で、その人が動画の中でこんなことを言っていました。
「私が他人と違うのは、誰よりも多くの物を捨ててきたからです。ビジネスはビジネスとして割り切ってやってきたからにすぎません。」
「私は結婚して、子供が出来ても育児をしながら仕事に集中できる自信がないので、結婚はしません。」
「自分の好きなことや趣味、夢はビジネスが成功してからすればいいと思います。他の人はいろんなことを全て上手くやろうとするから結局上手くいかないんです。」
これらの言葉が私には衝撃的でした。
そして来年の復学について、改めて考えるようになりました。
「音楽は私にとってビジネスなのだろうか?」と。
いいえ、違いました。音楽は私にとって趣味であり、好きなこと。
それを仕事に出来たらどんな幸せだろうか、と思っていました。
4年間一生懸命勉強すれば「なんとかなる」のではないかと考えていました。
でも、それが浅はかで趣味の延長に過ぎないことに気がつくのは、そう遅いものではありませんでした。
そして今私は、来年からの復学する学科をIT系に変更し、2年間本気で学び、起業してビジネスを成功させた後に、音楽でも映画でもトレーニングでも、好きなことをしようと思います。
今後もインターネットビジネスで必要とされる人材は多岐にわたり、チャンスもたくさん出てくると思います。
また、私は自分の人生を振り返り、この日誌を読み返してみたら、本当にたくさんの人達にお世話になり、そのほとんどすべてを裏切ってきたことに気がつきました。
小学校のとき、毎日給食を運んできてくれた友達に「約束は破るものだよ。」と言い、約束を守らなかったことを今でも覚えている。
中学のときの相談室のおばちゃん、あれだけ優しく接してくれて、応援もしてくれた。
卒業後の仕事も紹介してくれたのに、私は勝手にやめていってしまった。
始めた働いたその工場でも、父親のように接して心配してくれた工場長にも、なにも告げずに勝手に休むようになり、私は勝手にやめていってしまった。
4年間一緒に働き、見守ってくれていた飲食店のチーフにも、ここ3〜4年連絡すらしていない。
次の紹介してもらった飲食店でも、自分を律することが出来ず、すぐに次の仕事を探すためにやめていきました。
意を決して就職した和食店でも、兄貴分のことを信じることが出来ず、相談せずに勝手にやめていった。
こんなことをし続けてきた人生だから、私の周りには誰もいないし、なにもない。
人に感謝することを、人との繋がりを大切にすることを知らなかった私は、自分が気に入らないと思った場所はもういらないと、捨て去ってきた。
自分の力で仕事を見つけ、自分の意志で辞めてきたと思っていた。
周りが思うように私に接してくれないから、私も周りを嫌いになっていた。
でも、本当は全部、私自身が望んできたことだった。
それはこれからも変わらないことだと思う。
それでも過去の私を知った今、全ての人に心から素直に言えることがある。
『自分勝手でごめんなさい、本当にお世話になりました。また顔を出しにきます。』
私が望んだ物は必ず手に入る、私が思ったような人生を描いていく、私は自分が考えるような人間になっていく。
毎日の一秒一秒の大切さに、ようやく気がつくことが出来ました。
とてつもなく長い経歴を読んでいただき、ありがとうございます。
あなたとの出会いも、本当に大切にしたい、後悔もしたくない、だからお互い全力で生きていきましょう。
小柴 徳幸
